依存について
”生きたいと思う心が欠如している程度では、残念ながら、死にたいと思うには不十分だ”
これはどっかのフランスの爺さんが残した言葉だが、死ぬほど無責任だと思う。魚もくれなければ釣り方も教えてくれてねえじゃん。
一刻も早く競争から降りるべきだ、ネガティヴを潰すのは没頭だ、死にたさの類は消えないから諦めろ、他人の言葉にどれだけ救われたかわからない。わからないが、そこに発言者の責任は無い、当然か。
2021は去年より人と話す機会が多い所為で投げかけられる言葉も多い、もうハタチ過ぎてんだから甘えんなだのその歳で家庭を持ってるやつもいるぞだの、飛躍しすぎてて言いたいことが霞んでるキャラクターとかたくさんいた。まあもうどうでもいいや、悪い人ではなかった。
他人の言葉に寄りかかってしまう、できれば何にも寄りかからないで生きたい、と思う
これは少し前に書いた下書きだが、クソ面白くない上にもっと考えがまとまったから消した。
オレは音楽を性的に聴いているのではない、正しくは音楽に性とおなじくらい依存している。それに人に依存するよりも物質に依存する方が疲れないのもわかった。でも物には温かさが無いことも分かった。
依存というのは生への執着だと思う。でも食欲も性欲も睡眠欲もすべて消費したら、もう何にも寄りかかれない、寄りかかるものが無いから、だから時々消えたくなる、競争からも降りられない、横を通る高級車に絶望してしまう、電解液に浸されて仮死状態を切望する。
今わかるのは、人より物や考えに寄り掛かった方が疲れないってことだけで、これからうまく生きていけるかなんてわからない。自信がついたところで変わるのか、自己肯定のやり方はググっても出てこない
たった今好きな韓国人の女の子に「黒人が好きなんだ」とフラれたばかりだが、人生初肌の色で拒否されてものすごく興奮している。オレの辞書にまた新しいフリ文句が追加されて最高にハッピー、やったな。それに筋肉がもう少しあればモテるらしい、まだオレの身体見てないのになんで筋肉無いのバレてんだ。
人生で一番面白かった小説の言葉に救われている、もちろんそこに"責任"は無い